2014年1月1日水曜日

馬 Caballo 佐左木俊郎

【む~ぶ】木曽馬

佐左木俊郎                                Caballo 馬

 (ささき-としろう、1900-1933。明治33年4月14日宮城県に生まれました。鉄道員、小学校の代用教員などを務めたのち新潮社に入り、雑誌「文学時代」などを編集しました。また農民文芸会に属し、農民文学の作家として活躍しました。昭和8年3月13日死去しました。享年32歳という若さでした。著作に「熊の出る開墾地」、「黒い地帯」などがあります。)


 伝平は子供の頃から馬が好きだった。
「おう! 俺家おらえでも馬一匹飼わねえが? どんなのでもいいがら。」
 伝平はそう口癖のように言うのだった。
「馬か? 濠洲産の駒馬でもなあ。早ぐにしが稼ぐようになって飼うさ。」父親はいつもそう言うだけであった。
「馬一匹飼って置くといいぞ。堆肥こやしはどっさり採れるし、物を運ぶのにも楽だし……」
「そんなごとはにしに言われねえでも知ってる。併し、馬飼うのにあ、馬小屋からして心配しなくちゃなんねえぞ。早ぐ汝でも稼ぐようになんなくちゃあ、馬など、飼われるごっちゃねえ。」
 父親は、赤爛あかただれの眼を擦りながら、そんな風に言うのであった。
 併し、伝平は馬を諦めることが出来なかった。伝平は父親の眼をぬすむようにして、他家よその飼い馬の、飼料を採って来てやったり、河へその脚を冷やしに曳いて行ってやったりするのであった。部落の人達も、植付期うえつけどきとか収穫期とりいれどきとかの、農繁期になると、子供の馬方うまかたで間に合うようなときには、伝平をわざわざ頼みに来た。
       *【む~ぶ】木曽馬
 伝平が稼ぐようになってからも、伝平の家では、馬を飼うことなどはとても覚束おぼつかなかった。僅かばかりの田圃を小作しているのであったが、それだけではどうにも暮らしがつかないので、伝平はよく日傭ひでまに出された。そして伝平は、雀が餌を運ぶようにして、三十銭五十銭と持って帰るのであったが、その端金はしたがねはまるで焼け石へじゅうじゅうと水を滴らすようなものであった。
「おあ! 俺が日傭ひでまで取って来たぜにだけは蓄めでてけれ。馬を買うのだから。」
 伝平はそんな風に言うのだった。
「蓄めで置きてえのは山々だどもよ。ふんだが、馬を買うのにあ、三月みつき四月よつきも、飲まず食わずに稼がなくちゃなんめえぞ。馬も欲しいが、生命いのちも欲しいから、なんとも仕方ねえよ。」
 母親は哀れっぽく言うのであった。伝平は仕方なく、そのまま日傭などを続けていたが、十八の歳の早春の、農閑期の間に、彼は突然いなくなってしまった。 そしてそのまま半年ばかりは、どこへ行っているのか全然わからなかったが、秋になってから、初めて、硫黄山に働いていたことがわかった。併し、伝平は、そ れから間もなく、栗毛の馬を一匹曳いて自分の家に帰って来た。酷く痩せていて、尻がべっこりと凹んでいるよぼよぼの、廃馬も同様の老耄おいぼれ馬であった。それでもしかし、父親や母親を驚かすのには、それで十分だった。
「伝平! にしあ、馬、買って来たのか?」
 父親は赤爛れの眼を無理矢理に大きく押し開けながら言った。「金持ってけえんべと思っていだども、あんまり安かったで、買って来たはあ。おう! この馬は、こんで、何円ぐらいにえるべ?」
「それさ。併し、幾ら安くたって、生きてる馬だもの、十円か十五円は出さねえじゃ……」
「十円か十五円? 何か言ってんだか! お父う等は、馬の、値段も知らねえんだなあ。この馬だって、普通なら、五十円か六十円はするのだぞ。三十円だっていうから、俺、安いと思って買って来たのだ。」
「三十円? こんな痩馬がか?」
「何か言ってんだか! 痩馬だって、骨まで痩せてるわけじゃあるめえし、飼料ものせえちゃんと食わせりゃあ、今にゴムマリのようになっから見てろ。肥えてる馬なんかなら、誰が、買ってくっかえ。面白くもねえ。」
「そりゃあ、生きてる馬だから、こえっかも知んねえが、それにしても、骨と皮ばかりでねえか? 俺なら、こんな痩馬さ、三十円は出したくねえなあ。余ってる金でもある時で、十円ぐらいなら、買うかも知れねえども。」
「伝平は、本当に、なんて無考えなことをしんだか。三十円もあったら、ふんとにどんだけ楽だかわかんねえのにさ。馬なんか買って来たって、どこさも、置くとこもねえじゃねえか?」
 母親もそう不平がましく呟いた。
「おあ! ぜになら、まだ残ってるのだぞ。」
 伝平はそう言いながら、胴巻きの中から蟇口がまぐちを取り出して、母親の前へぽんと投げ出した。蟇口の中には、まだ二十何円かの金が残っているのだった。父親も母親も、もう何も言わなかった。
「伝平の野郎には叶わねえ。」
 父親は暫くしてから欣びにうごめくような低声こごえで呟いた。
 伝平は、老耄おいぼれ痩馬やせうまを、前の柿の木に繋いで置いて、すぐ馬小屋をつくりにかかった。柿の木の下に四角な穴を掘り、近くの山林から盗伐して来た丸太を組み立てて、その周囲には厚い土塀をめぐらしたのであった。それには父親も母親も黙々として手伝った。その掘っ立ての馬小屋は、そして、馬小屋であると同時に、そこですぐ堆肥たいひをも採れるようになっていた。
 伝平は急に活き活きして来た。娘から母親になった女のように、伝平は、自発的に働くようになって来た。薄暗いうちに起きて飼料を刻んだり、野良へ働きに出てもくずの葉や笹の葉を持って帰るとか、伝平は急に大人びて来た。夜なども、馬のことが気になってろくろく眠れないというような具合で、伝平は、母親がその病児を養うようにして馬の面倒を見ているのだった。そして、老耄おいぼれの痩馬は、次第に肥り出して来た。
「好きな者には叶わねえなあ。」



 部落の人達は眼を瞠るようにしてそんなことを言うのだった。
「伝平の野郎は、なんでも、馬小屋さ寝てるって話だぞ。馬を女房にしてるんだってさあ。」
 部落にはそんな噂まで立った。
 併し、伝平の馬は、翌年の早春、腸を病んで急に死んだ。飼料の用意が十分でなかったところから、なまの馬鈴薯を無暗むやみと食わしたので、腹に澱粉の溜まったのが原因だった。伝平は酷く落胆した。彼は失神の状態で、幾日も幾日もぶらぶらと、仕事を休んでいた。どうかすると、両の眼にぎらぎらと涙を溜めて、空間をっと視詰めているようなことがあった。
       *【む~ぶ】木曽馬
 徴兵検査で、伝平は、輜重輸卒しちょうゆそつに合格した。
「馬が好きであります。」
 伝平はそう、つい、うっかりと、正直に答えたのであった。
「馬が好きか! ふうん! それはいい。併し、騎兵には少し丈
が足りないから、輸卒がいいだろう。」
 伝平はそして、三ヵ月間の兵営生活を送って来たのであったが、彼はその三ヵ月の間に、馬に就いての知識をどっさりと仕入れて来た。伝平は、会う人ごとに、馬に就いての話をした。除隊の挨拶に廻りながらも、伝平は、部落中の馬小屋を、かたぱしから覗いて歩いた。
「おおら! おおら! おおら!」
 そんな風に声を掛けながら、伝平は、軽く肩のところを叩いたり、無雑作に口の中から舌をつかみ出したりするのだった。
 そして、それからというもの、部落の馬が、病気をしたり怪我をしたりすると、伝平は、仕事を投げ出して飛んで行くのだった。伝平はいつの間にか、幾種類かの薬品や、繃帯ほうたいや脱脂綿などまで持っているのであった。部落の人達も、馬で困ることがあると、すぐ伝平のところへ相談に行くようになった。伝平はすると、例えば自分の家が燃えかけているようなときでも、きっとすぐ出掛けて行くのだった。
 部落では、いつの間にか彼を(伝平)とは呼ばずに(伯楽はくらく) と呼ぶようになっていた。伝平はそして(伯楽)と呼ばれることが限りもなく嬉しいらしかった。部落の子供達などは、伝平を、馬の医者のように信じきってい るのであった。馬の爪切り刀などまで買い求めて、農閑のおりなど、部落の馬小屋を廻って爪を切ってやったりするからであった。伝平の、馬に就いての危なっ かしい知識や技術は、最早もはや、彼の生活を幾分かは助けているのであった。
       *【む~ぶ】木曽馬
 伝平は二十三歳で結婚した。
「俺あまだ女房なんか早え。そんなことより、まず、馬を買う算段をしなくちゃ。馬のいいのを一匹飼って、それから……」
 伝平はそう言っていたのであったが、母親が眼に見えて老衰して来て、飯を炊くのにも困るようなことになったものだから、両親が否応なく押しつけてしまったのであった。
「ほう! 伯楽も、馬々って、馬をほしがっていだっけ、駒馬こまうまさは手が届かなかったどえで、牝馬だんまにしたで。」
 部落の人達はそんなことを言った。
 併し、いずれにもしろ、伝平はそれで落ち着いた。そして、それから間もなく、伝平は、一匹の馬を飼うことが出来るようになった。自分の所有になったので はなかったが、高利の金を貸している高木のところで、抵当流れとして取り上げた南部産の駒を、伝平のところへ預かったのであった。伝平の生活は再び活気づ いて来た。
「立派な馬だなあ。こんな立派な馬を、俺家おらえさ飼って置げるなんて、神様のお授けのようだなあ。粗末には出来ねえぞ。部落の奴等は、なんとかかんとか言うげっとも、やはり、高木の旦那は腹が大きいなあ。偉い人だよ。」
 伝平はそう言って、馬のことは、なんでも自分でするのだった。そして、馬主の高木は、毎日のように、その馬を見に伝平の家に廻った。伝平が家にいるときには、伝平はいつでも、馬を庭へき出して、だくを踏まして見せては高木を欣ばして帰した。伝平がいないときには、女房のスゲノが、高木を馬小屋へ案内して、それから縁側で茶を飲まして帰すのであった。
「高木のとげ野郎にあ、全く油断も隙もねえなあ。駒馬を貸して置く代わりに、伯楽から、牝馬だんまを奪ってるって話でねえか。伯楽も、一年からなるのに、感付かねえのかなあ。何しろ、伯楽は、馬どなるど、眼がねえからなあ。」
 部落にはまたそんな噂が立って来た。伝平は、それほど愚鈍なのではなかったが、馬のためにはだまされてやる寛大な善良と狡猾を持っているのだった。併し、噂が次第に激しくなって来ると、伝平の寛大な狡猾は、寛大な善良を乗り越えて行った。
「旦那! 旦那はいるか! 談判があるから出ろ!」
 伝平はどうかすると、無理に酔っ払って、高木の家へそんなことを言って行くことがあった。
「南部馬がなんだって言うんだえ? 糞面白くもねえ! 今日は談判があるんだぞ!」
 伝平がそう怒鳴りながら門を這入って行くと、高木は座敷の障子を開けて、縁側へ出て来るのが常だった。
「談判があるど? 馬を返すって言うのか? いつだって構わねえ。今日にでも返してもらうさ。それから金の方も一緒に……」
「おっ! 旦那様! 今日はどうも少し酔っ払ってしまって……」
 伝平はそう言って、すぐもう折れてしまうのだった。
「談判があるなら聞こう。」
 高木はしかしにらむような眼をして言うのだった。
「談判など何もねえんでがす。ただそれ、旦那が、俺から馬を取り上げて、どこか他所よそへやるっていうような噂もあるもんだから、それで酔っ払い紛れにどうも……」
おとなしい者にあ、儂だって、鬼にはなれねえぞ。併し、伯楽の方で、馬が……」
「旦那様! 旦那様の気持ちは、俺、底までわかってるから。」
 伝平はそう言って、幾度も頭をさげながら、逃げるようにして帰ってしまうのであった。
       *【む~ぶ】木曽馬
 併し、伝平は、四十を過ぎても、やはり、しがない暮らしで、自分の持ち馬というものが出来なかった。それに、体力の方も酷く落ちてしまって、すぐ疲労を感ずるようになっていた。女房のスゲノも、五人かの子供を産んで、何もかももうれきってしまっているようであった。伝平が力にしているのは、最早もはや、伜の耕平だけであった。「耕平! にしあ早く立派な稼人かせぎてになんなくちゃいけねえぞ。俺等はもう駄目だからなあ。早く立派な馬でも飼うようになって……」
 父親の伝平は、ときどきそんなことを言うのであった。
「おう! 俺、鉄道の、砂利積みに行きてえなあ。鉄道の砂利積みに出て稼ぐど、四月よつき五月いつつきで、馬一匹は楽に買えるから。」
 耕平はそう言って、最早、青年達の中へ飛び出して行きたがっているのだった。
「それさあなあ。金は取れるかも知れねえけど、貨車の上さ立ったりして乗ってるらしいが、危ねえようだなあ。幾ら金になったって生命には換えられねえんだから、やはり、見合わせた方がよかんべぞ。」
 父親の伝平はそう言って、耕平が砂利貨車で稼ぐことは、悦ばなかった。むろん、馬は欲しいのであったが、そんな風にして四十銭五十銭と持ち帰る金で馬な ど容易に買えるものではなく、幾度も幾度も怪我人を出していることを聞くと、伝平は、やはり、耕平を出してやる気にはなれなかった。併し、耕平は、いつの 間にか、父親に隠れるようにして、砂利貨車に働いているのだった。
「おあ! おうさに言うなよ。お父うは、馬一匹買えるだけに、金をめてから知らせるべし。」
 耕平はそう言って、五十銭ばかりずつ賃銀を、母親のところへ運んで来た。それは、籠に水を汲み溜めようとするようなもので、穴だらけな生活の中へ消えて 行ってしまうのであったが、父親も母親ももう、耕平が砂利貨車に働くことを止めようとはしなかった。そして母親は、耕平の肩に、成田山の守護札などをかけ てやった。
 併し、そんな風にして一ヵ月ばかりも過ぎたころ、耕平は、進行中の貨車と貨車との間に墜落して、胴体を切断された。殆ど即死であった。父親の伝平も母親のスゲノも、驚きだけが先に来て、涙も出なかった。遣る瀬の無い悲しみの涙がじめじめと頬へい出して来たのは、耕平が死んでから十日も過ぎてからであった。そして、父親も母親も、失神の状態で、幾日も幾日も仕事が手につかなかった。それでも、砂利会社からの慰藉金いしゃきんや、同僚達からの香奠こうでんなどを寄せると、伝平夫婦の手には、百円ばかりの金が残った。
「これこそあ、耕平の野郎の、代金しろきんだぞ。無暗なことにあつかわれねえぞ。この金は、金として、取って置かなくちゃ。」
 伝平はそう言って、その金で馬を買う気持ちさえも、その当座は起こらないらしかった。
「ほんでも、金で持ってるど、眼に見えねえごとにつかってしまうんじゃねえかね。」
 女房のスゲノは首を傾げながら言うのだった。炎天の下に水を溜めようとしても、水は、いつの間にか蒸発してしまう。伝平もそれは知っていた。
「思い切って、耕平の野郎さ、立派な墓石でも建ててやるか?」
 伝平は眼を輝かしながら言った。
「それさね。ふんでも、立派な墓石など建てたって、毎日お墓さ行って見れるもんでもあるめえしね。何か家さ置けるものを買ったら、どんなものかね。」
「それじゃ仏壇でも買うか?」
「それよりも、思い切って、馬のいいのを買ったらどうかね。耕平も、馬を買うべって稼ぎに行って……」
 母親はそう言っているうちに、涙がじめじめと虫のようにい出して来て、言葉がげなくなった。
「よし! 馬を買うべ! 馬のいいのを買うべ!」
 伝平は手を叩くようにして言った。
 伝平はそうして、七十円ばかりで、橡栗毛とちくりげの馬を一匹買ったのだった。残りの金では、馬小屋にも手入れをした。そして、伝平は、一日のうち、馬小屋にいる時間の方が、遙かに長かった。
「おおら! おおら! おおら!」
 伝平はそう言って、馬の肩あたりを撫でてやりながら、いつまでもっと馬の眼を視詰めているのだった。そして、伝平の眼には、いつの間にか涙がするすると湧いて来る。伝平はすると、馬の首に手をかけて、その眼を馬の顔に押し当てるのだった。
にし等あ、馬を大切にしなくちゃなんねえぞ。兄ちゃんの身代わり金で買ったのだから、馬だって、兄ちゃんと同じことだぞ。兄ちゃんさ美味うまいもの喰わせるつもりで、美味そうな青い草でもあったら、取って来て喰わせたり、大切にしなくちゃなんねえぞ。」
 伝平は、そう小さな子供達に言うのだった。
「耕! 耕! 耕や!」
 伝平は馬の肩を撫でながら、そんな風に言っていることもあった。
「伯楽は、なんのつもりで、馬を買ったんだべ? 馬を遊ばせて置いて、伯楽は自分で重いものを背負っているじゃねえか? 自分で馬を持ったことねえもんだから、惜しくて、使われねえのじゃねえか?」
 部落ではそんな噂をしていた。いくらかそんな気持ちもあるにはあったが、伝平夫婦には、馬が伜の耕平に見えて仕方がないのだった。女房のスゲノも、涙がじめじめとわけもなく出て来るときなど、馬小屋へ行っては、馬の肩を撫でながら、一時間でも二時間でも馬の眼を視詰めていた。
       *【む~ぶ】木曽馬
 併し、農事が忙しくなると、やはり、飼ってある馬を使わずにはいられなかった。雑木山からの薪運びに、伝平は、初めて馬を使役に曳き出した。むろん、馬に、乗る気になどはなれなかった。腰を曲げるようにして、崖の上の細い坂路を、馬を曳いて上って行った。
 伝平はそして、荷を、軽目に積んだ。併し、馬は、暫く荷を張られなかったので、荷を積んで曳き出すと、一脚ごとに鞍をった。そして、崖の上の下り勾配こうばいにかかると、びっこでも引くように、首を上げ下げして、歩調を乱すようにしては立ち止まるのであった。
「脚が悪いのかな?」
 伝平はそう言って、何度も振り返って見たが、坂の中途で馬を停めてしまった。
「可哀想な野郎だよ。」
 伝平はそう言いながら、六個の薪束を、四個に減らした。そして、伝平は、自分が背負っていた二個に、さらにその二個を加えた。立ち上がると、四個の薪束 の重さで、伝平はよろよろした。ちょうどそのとき、路の上に垂れ伸びていた木の枝が、馬の顔をばさりと叩いた。馬は驚いてねあがった。その途端に、馬は、崖に脚を踏み外してしまった。
「あっ! あっ! あっ!」
 伝平は叫びながら手綱たづな手繰たぐったが、もう間に合わなかった。四個の薪束の重さで、足がよろよろ浮いているところを、崖に墜落して行く馬の手綱にぐっと引かれて、伝平はひとたまりもなく谷底へ伴れて行かれてしまった。
       *【む~ぶ】木曽馬
 伝平の怪我も、馬の怪我も、殆んど、致命傷だった。
「耕平の怪我はどうだあ! 耕平の方は俺より酷くねえか? 生命いのちがありそうか!」
 伝平はそう譫言うわごとのように言うのだった。
「おう! 馬は大丈夫だあ。馬は大丈夫だからお父うばかり……」
 女房のスゲノは伝平の耳に口を当てて言った。
「大丈夫か? 耕平が大丈夫ならいい。俺はもう先のねえ人間だ。耕平が助かればそれでいい。俺など構ってねえで、にしあ、耕平の方さ行ってやれ。」
 伝平はそう譫言うわごとのように言い続けながら三日目に死んだ。
---昭和7年(1932年)『新潮』8月号---

Caballo 馬


Ernesto Mr. T は この作品を読んだとき、動物好きだった父を思い出しました。境遇面や性格など伝平とかなり似たところがありました。

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