2012年6月9日土曜日

Charles Dickens その2, Mugby Junction マグビ乗換駅

前回も申し上げましたが、本日6月9日は大英帝国最大の作家ディケンズの命日です。1870年没、享年58。

日本でもディケンズは昔から多いに人気を博し、大半の作品が新潮や岩波、角川、筑摩などの文庫(翻訳)で簡単に読めますが、残念ながら、日本語では読めない名作もあります。以下の Mugby Junction は(第四章の「信号手」以外は)日本ではあまり知られていませんが、英語圏では読んでいて当然と言われるものの1つです。Ernesto Mr. T の同僚の Steve (New Zealand) も少年時代に読んだということです。原文はそれほど長くなく、インターネットの Amazon などで簡単に入手できます。"Have you any brothers and sisters?" とか the last council was holden (holdの過去分詞)とか Look here. (苛立ちの表現)とか懐かしき英語がたくさん出てきて、現代の英文法や語法との比較・整理にも役立ちます。

Charles Dickens (等)作 Mugby Junction 「マグビ乗換駅」の概説

子供たちが7、8人、窓辺に寄って歌っています。少女の、白い顔が窓枠に添うように横になっています。華奢な、それでいて明るい顔。"I am always lying down, because I cannot sit up.  But I am not an invalid.  ...And you would see that I am not at all ill—being so good as to care." (私、起きて座っていられないの。でも、障害者ではないわ。—とても健康なのよ)

男がこれという訳もなく降り立った駅が Mugby Junction でした。そこから7本の路線が走り出ています。(ただし、第3章では、軽食堂の the boy が twenty-seven cross draughts「27本の交叉する支線」と言っていますが...。) その1本1本の先に物語があるのです。歩けない自分の代わりにその物語を探ってほしい、と少女 Phoebe が言います。

私生児に生まれた Jackson は、「罪の子」としてその償いを求められる陰鬱な幼少時代を過ごし、医師を志して勉学に励んだのも束の間、父と思しき人物に将来の夢を奪われて、彼の会社である Barbox Brothers で意に添わぬ株の仲貿の仕事に就きます。しかも信頼するたった1人の友に愛する女を奪われた主人公は、Barbox Brothers で失意の人生を送った後、五十路の今、思い切って会社を畳み、新たな人生の可能性を求めて、当ての無い鉄道旅行に出かけたのでした。Barbox Brothers こと Jackson は、鉄道の連絡駅Mugby Junction でふと足を止め、Lamps という the station lampman とその娘で赤子のとき Lamps が誤って床に落としてしまったことが原因で寝た切りの生活を余儀なくされている Phoebe と出会い、この、人生を失った男 Jackson (the solitary “Gentleman from Nowhere”) は自身の人生や世界を意味づける新たな「視点」を学ぶのです。新しい生命を与えられたかのように。そして、Phoebe のために楽器を買おうと訪れた隣町で Polly という名の少女に出会います。Polly はかつて Jackson を裏切って駆け落ちをした恋人 Beatrice と、心から信頼していた、たった1人の友(今は病床の身の) Tresham との娘でした。彼らとの思い掛けない再会と彼らへの許しを経て、Jackson は忌まわしい過去の記憶を克服していきます。
Mugby Junction は、主人公の精神的再生を語る書き出しの2章を枠組み物語として、続く第3章からは、Mugby Junction の町で新しい人生を歩み始めた Jackson が、そこで見聞きした風物を、「本線」「第1支線」といった鉄道の路線に託して、各章それぞれ独立したエピソードとして語っていきます。(第4章は日本でも超有名な「信号手」The Signalman。そして、第5章以降は、Dickens に代わって当時の著名な書き手たちがそれぞれ1章を担当するリレー形式で、同様の物語が展開します。ただし、現在は第3章までの版が多いようです。)   
Ernesto Mr. Tのお気に入りは第3章です。第2章までの感傷的な内容と違い、黒い笑いに包まれ、抱腹絶倒間違いなしです。以下は冒頭部分の拙訳です。

マグビ乗換駅 第3章 マグビの小僧(使用人)

オレはマグビにいる小僧(使用人)だ。今のオレさまはそんな感じさ。オレが言ってることが分からないのかい。何とも残念だな。でもな、本当は分かっているはずなんだがなあ。ああ、苛々するな。オレは、マグビ乗換駅にある、いわゆる元気回復の軽食堂ってやつで使われている小僧(使用人)なのさ。胸を張って超自慢できることは、この店が[店の名と大違い]これまで誰一人(の客)にも元気回復とか気分を軽くとか一度もさせてやったことがないってことなのさ。

I am the boy at Mugby.  That's about what I  am.  You don't know what I mean?  What a pity!  But I think you do.  I think you must.  Look here.  I am the boy at what is called The Refreshment Room at Mugby Junction, and what's proudest boast is, that it never yet refreshed a mortal being.

イギリス人の外国人嫌い、イギリスの食事の不味さ、サービスの悪さは世界的にも有名ですが、この短篇は、女将のフランス視察旅行の話と女給たちの反応を通し、フランスの食堂のまともな食事や店員の礼儀正しさを腐し、客に媚びず、客を動物扱いする、イギリスの独立性を称賛しています。大英帝国最高の作家ディケンズの面目躍如ですね。軽食堂で働いていた、おべっか野郎の Sniff という男は最後に奥さんに八つ裂きにされ、姿を消します。(女性の怖さ・残酷さも味わえる逸品です。)

Mugby Junction は Ernesto Mr. T が大学時代(1年生か2年生の頃)に読んだ、作品ですが、現在では(昨年度の名古屋大学の大学院など)大学院等の授業でも使われているようです。こんなに面白くて素敵な text を用いれば 充実した授業になること間違いなしでしょう。


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